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大友氏の記事一覧

23件HITしました。

2015年3月4日 豊後大友氏について(24)-高橋鑑種の謀反②

高橋鑑種(あきたね)は毛利と結び、1667年に大友家に謀反を起こしますが、その原因は様々語られています。 ・1561年の第四次門司城の戦いに敗れた大友宗麟(そうりん)は、毛利を討つべく、鑑種にそ...

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2015年2月28日 豊後大友氏について(23)-高橋鑑種の謀反①

高橋家も秋月家と同じく、漢王室を起源とする帰化民族の末裔といわれる大蔵氏の出で、伝統的に「種」の文字が名前に含まれています。高橋家は元々筑後の三原(御原とも書く)郡高橋(現在の福岡県小郡市)に本拠地を...

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2015年2月25日 豊後大友氏について(22)-毛利氏との戦い④:宗麟の外交戦

武力で毛利から門司城を奪えなかった宗麟は、得意の外交戦にでて、将軍家に毛利との仲裁を頼み挽回をはかります。それと同時に山陰の尼子氏と同盟を結び、背後から毛利をつく作戦に出ました。 このままでは、...

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2015年2月21日 豊後大友氏について(21)-毛利氏との戦い③:門司城の戦い 第三

秋月文種(あきづきふみたね)と、筑紫惟門(ちくしこれかど)が大友に降伏した翌年の1558年、九州進出を執拗に狙う毛利元就(もうりもとなり)は三男小早川隆景(こばやかわたかかげ)に怒留湯主水(ぬるゆもん...

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2015年2月17日 豊後大友氏について(20)-秋月文種の最期

秋月文種(あきづきふみたね)の家臣に小野九郎衛門(くろうえもん)というものがいました。その従弟で戸次鑑連(べっきあきつら、立花道雪)の家臣であった小野和泉(いずみ、鎮幸)は、「大友の兵を古処山城(こし...

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2015年2月14日 豊後大友氏について(19)-秋月氏について

秋月氏は原田氏、高橋氏とともに大蔵氏三豪族といわれ、原田、高橋と同じく伝統的に「種」の文字が名に使われています。大蔵氏とは、大友、少弐、島津の九州三人衆が九州に入ってくる以前より北部九州に根をはる一族...

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2015年2月11日 豊後大友氏について(18)-秋月文種の反乱

1554年の第一次門司城の戦いで大友軍に敗れた毛利元就(もとなり)は、大友に対して反感をもつ北九州各地の緒豪たちを調略し、大友の統治をかき乱す戦法にでます。 そして、元就から「大友を討てば、筑前...

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2015年2月7日 豊後大友氏について(17)-毛利との戦い②:門司城の戦い 第二

毛利元就(もうりもとなり)は、当初、大内氏の牙城である周防(現在の山口県南東部)・長門(現在の山口県北西部)への侵攻に専念するため、義鎮(よししげ、宗麟)と和睦し、大友による筑前・豊前支配を容認してい...

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2015年1月31日 豊後大友氏について(15)-宗麟の時代⑪:南蛮文化と豊後府内の発展

宗麟の時代は豊後の首都、府内(ふない)が発展し、南蛮文化が花開いた時代でもありました。府内(現在の大分市)は、外国船が行き交う国際貿易都市として発展し、堺や博多と並ぶ都市となります。 全盛期の府...

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2015年1月27日 豊後大友氏について(14)-宗麟の時代⑩:九州六か国の守護へ

義鎮(よししげ、宗麟)は大友家の家督を継いで間もなく、豊後(現在の大分県の大部分)、筑後(現在の福岡県南部)に続き肥後(現在の熊本県)も統治下に置きますが、次に狙いを定めたのは肥前(現在の長崎県と佐賀...

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