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豊後大友氏について(2)-大友氏はどこから来たのか

2014年12月30日

豊後大友氏は、1196年に豊後に下向したとされています。大友氏はもともと相模国大友郷(今の神奈川県小田原市に)の出身です。大友郷は大友氏初代大友能直(よしなお)の母の故郷で、能直はそこで幼少期を育ち、それ故、大友を名乗ったといわれています。

大友能直は、今でいうと源頼朝の秘書官ともいうべき人物で、頼朝の信頼厚い側近中の側近でした。

鎌倉幕府の創設期、初代能直、二代目親秀(ちかひで)の時代、大友氏本家は、幕府と朝廷の折衝役を任され、鎌倉と京都を行ったり来たりで、豊後には一度も入らなかったといわれています(一時期入っていたという説もあり)。

しかしながら、親秀の兄弟達(したがって、跡取りである親秀以外の能直の子供達)は既に豊後に下向し、着々と足場を固めて行きます。その中から、後の大友氏の中核を成す田原氏(たわらし)、志賀氏(しがし)、一万田氏(いちまだし)等が出ています。このように本家以外からまず豊後入りしたのは、大友本家が豊後に入るまでに地ならし、すなわち、豊後の武士を制圧もしくは豊後の武士と融和し、来たるべき本家の豊後下向に備え安全を確保する必要があったからでしょう。

ところが、三代目の頼泰(よりやす)の代になると、どうしても豊後に入らざるを得なくなります。蒙古の九州に襲来に備え、頼泰は、少弐経資(しょうにつねすけ)とともに、時の執権、北条時宗から現地の最高指揮官に任じられたのです。

そして、1271年、頼泰(つまり大友本家)は遂に豊後に下向します。その3年後の1274年、蒙古襲来=元寇(文永の役)が現実のものになります。

カテゴリー社長,歴史,大友氏

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