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豊後大友氏について(7)-宗麟の時代③:二階崩れの変 第三

2015年1月4日

義鎮(よししげ、宗麟)の廃嫡に反対した四人の家臣のうち、命令通りに上原館にやってきた斉藤、小佐井(こざい)の両人を義鑑(よしあき)は家臣に待ち伏せさせて謀殺します。残る田口、津久見の二人はこの時、嫌な予感がしたため仮病を装い登館しませんでしたが、斉藤、小佐井の横死を聞くと、「自分たちもいずれ同じ目にあう。どうせ死ぬのなら逆に討ち入り、潔く死のう」と覚悟を決め、一族・家臣を引き連れ、上原館を襲撃しました。館の二階にいた塩市丸(しおいちまる)を津久見が、義鑑の後妻を田口が殺害した後、二人は義鑑の部屋に向かいます。すると、義鑑が抜刀して立ち向かってきました。これに対し、津久見が応戦し、義鑑に重傷を負わせます。その後、田口、津久見の一行は駆け付けた義鑑の家臣によってその場でことごとく討ち取られます。義鑑もこの時負った傷がもとで、この事件の二日後、息を引き取ります。この事件は上原館の二階で起こったことから、「二階崩れの変」と呼ばれています。

この事件のあと、義鎮は義鑑の跡を継ぎ、大友家第二一代当主となるのです。

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