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大分市の地価今昔②/郊外路線商業地編

2021年2月5日

1970年代から1980年代にかけて、日本のモータリゼーションは急速に発展します。大分県内の乗用車数も1970年が約7万台、1980年が約25万台、1990年が約32万台というように飛躍的に増加しました。これに呼応する形で郊外の幹線道路沿線にはコンビニ、ファミレス、アパレル、ドラッグストア、パチンコ店等が続々と出店します。時代により業種の変遷はあるものの、出店は現在も続いています。

バブル期のピーク時には国道197号沿いの萩原、国道 210号沿いの豊饒周辺では坪当たり200万円以上の取引もみられました。現在そのあたりの取引水準は、坪当たり35万円から45万円程度です。中心商業地の地価下落に比べ、下落率は小さいものの、郊外路線商業地の地価もピーク時の5分の1程度になっており、大きく下落していることがわかります。

それでは、郊外路線商業地の地価はなぜこれほど下落したのでしょうか?IT発展によるネット販売の増加という商業地共通の理由のほか、①2000年代に入り、「わさだタウン」、「パークプレイス」等の超大型複合商業施設が郊外に立地し、顧客が流出したこと、②郊外型店舗が、より郊外に進出し分散したこと、③事業用定期借地権の普及(契約の更新が無く、契約期間が満了すると土地の借主は原則として更地にして土地を貸主に返さなければならない契約。従来の借地契約に比べ土地所有者にとって有利なため、郊外で急速に普及し、その結果、売買が減少)等がその原因と考えられます。

(こちらとほぼ同様の内容はOITA CITY PRESS 2021年2月号に掲載されています)

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