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豊後大友氏について(16)-毛利との戦い①:門司城の戦い 第一

2015年2月4日

大友義鎮(よししげ、宗麟)が、絶頂期にあったのは、九州六ヶ国の守護となった1560年前後、時に義鎮30歳前後の頃です。その後、大友氏は中国の毛利、薩摩の島津、肥前の新興勢力龍造寺(りゅうぞうじ)等と熾烈な戦いを繰り広げることとなります。

今後は、大友氏とこれらの勢力との戦いを中心に大友氏及びその家臣がどのようにして戦国の時代を生きてきたかについて述べていきたいと思います。

まず、大友に戦いを挑んできたのは中国の毛利でした。時代は義鎮が九州六ヶ国の守護となる前にさかのぼります。

義鎮がまだ、肥後の菊池氏や豊後国内における1553年の一万田鑑相(いちまだあきすけ)らの内乱(府内の町約300戸が焼失したという事件)に対処していた頃の1554年、毛利元就(もとなり)は息子の吉川元春(きっかわもとはる)、小早川隆景(こばやかわたかかげ)に兵二万を率いさせ、大友方の将、怒留湯主水(ぬるゆもんど)が僅かな兵で守る豊前の門司城を攻め、これを落としたのです。

カテゴリー社長,歴史,大友氏

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