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大分市の地価今昔③/住宅地編

2021年3月12日

日本経済の高度成長、新産業都市の指定による大分市への人口集中などが重なり、大分市の住宅地価格は戦後右肩上がりで推移していきました。日本経済が好調であった1980年代前半やバブル期には、年間地価上昇率が10%を超える時期もありました。

しかし、1991年(平成3年)のバブル崩壊により、まず、大分市の商業地の地価が下落に転じます。一方、大分市の住宅地は、①バブルの影響が商業地に比べて少なかったこと、②相次ぐ政策金利の引き下げにより住宅が購入しやすい環境にあったこと、③過去に例をみない規模の公共投資が継続的に行われ地価を下支えしていたこと等により、1998年まで地価上昇が続きました。

そして、1997年末から1998年にかけて、北海道拓殖銀行、山一証券、日本長期信用銀行等の大手金融機関が次々に破綻し、日本の金融危機が本格化します。この時期、金融危機と自己資本比率の規制適用が重なり、銀行は総融資額を減らすため融資の回収を急ぎ、貸し渋りや貸し剥がしが横行しました。その結果、日本経済は失速し、地方都市の住宅地価格もついに下落に転じることになります。

大分県発表の地価調査によると、大分市の住宅地の地価下落は2000年から2016年まで約17年間続きました。この間におけるトータルの下落率は約37%にもなります。その後、政府の大胆な金融緩和策や景気の回復により、2017年から大分市の住宅地価格は上昇に転じますが、年率0.2%~2.0%の小幅な上昇にとどまっています。

(こちらとほぼ同様の内容はOITA CITY PRESS 2021年4月号に掲載されています)

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