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豊後大友氏について(22)-毛利氏との戦い④:宗麟の外交戦

2015年2月25日

武力で毛利から門司城を奪えなかった宗麟は、得意の外交戦にでて、将軍家に毛利との仲裁を頼み挽回をはかります。それと同時に山陰の尼子氏と同盟を結び、背後から毛利をつく作戦に出ました。

このままでは、主力を九州に集結させていた毛利軍は手薄な本国を尼子に攻撃されることとなり、尼子と対峙すれば、背後を大友に衝かれることとなりかねません。この義鎮の策が功を奏し、結局、毛利元就(もとなり)は1564年にひとまず和睦を受け入れることにしました。しかしながら、和睦の内容は毛利にとって有利なものではなかったため、その後も元就は虎視眈々と九州を狙います。

毛利方は門司城を九州進出の足掛かりにしたいと考えていました。また、関門海峡は当時豊後へ向かう外国船が通る交通の要衝で、門司城を毛利方に抑えられると、大友宗麟が強力に押し進める海外との交易に多大な影響がでます。したがって、大友方は門司城を死守しなければなりませんでした。ここに両者の利害はぶつかり、大友と毛利の間で門司城を舞台に四度もが戦い起こったのです。

カテゴリー大友氏,歴史,社長

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