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豊後大友氏について(17)-毛利との戦い②:門司城の戦い 第二

2015年2月7日

毛利元就(もうりもとなり)は、当初、大内氏の牙城である周防(現在の山口県南東部)・長門(現在の山口県北西部)への侵攻に専念するため、義鎮(よししげ、宗麟)と和睦し、大友による筑前・豊前支配を容認していました。しかしそれらの攻略に成功した途端、約束を反故にし、1554年、大友領である豊前の門司城に侵攻してきたのです。

これに驚いた義鎮は、毛利軍に占領された門司城を戸次鑑連(べっきあきつら、後の立花道雪)、臼杵鑑速(うすきあきすみ)、吉弘鑑理(よしひろあきまさ、高橋紹運の父、立花宗茂・吉弘統幸の祖父)等の大友家精鋭一万五千をもって攻めさせ、門司城占領間もない毛利軍を山口に撤退させます。これを第一次門司城の戦いといいます。

その後、元就は義鎮の実弟で大内家の当主となっていた大内義長(おおうちよしなが)を1557年に自害に追い込みました。これにより、毛利と大友の対立は決定的となり、大友と毛利の豊前・筑前を舞台にした長い戦いが始まります。

カテゴリー大友氏,歴史,社長

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