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豊後大友氏について(15)-宗麟の時代⑪:南蛮文化と豊後府内の発展

2015年1月31日

宗麟の時代は豊後の首都、府内(ふない)が発展し、南蛮文化が花開いた時代でもありました。府内(現在の大分市)は、外国船が行き交う国際貿易都市として発展し、堺や博多と並ぶ都市となります。

全盛期の府内は堺や博多からも多数の商人が往来し、中国商人やポルトガル商人の活動拠点となっていました。地元豊後からは、仲屋宗越(なかやそうえつ、中屋宗悦とも表記される)という大商人も出現します。宗越は大阪・京都・堺の中心部にも屋敷を構え、外国船が入港した時は、堺・京都・博多等の商人を差し置いて、積荷の過半を買い取っていたといわれています。

また、1551年、フランシスコ・ザビエルが府内を訪れて以降、宗麟はキリスト教の布教を許可し、府内は日本におけるイエズス会活動の中心地となります。1553年には、教会が設立され、この頃から府内には宣教師やポルトガル商人、中国商人が数多く居住する国際色豊かな都市として発展していきます。中でも宣教師で医師のルイス・アルメイダは府内に病院を建て、日本で初めて西洋式手術を行ったことで有名です。なお、西洋医術の外、西洋音楽や西洋演劇も府内が発祥の地といわれ、大分県庁前の「遊歩通り」には、それを物語る様々な記念碑が置かれています(写真参照)。

西洋医術発祥記念像

西洋医術発祥記念像


西洋音楽発祥記念碑

西洋音楽発祥記念碑

 

 

フランシスコ・ザビエル像

フランシスコ・ザビエル像

 

カテゴリー大友宗麟,大友氏,歴史,社長

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